「山谷(やま)ーやられたらやりかえせー」
小さい会場で年に何回か公開している事は知っていたんだけど、なかなかチャンスがなかった。今回は中野新橋から歩いて10分くらいの、中野通り沿いにあるイベントスペース、「Plan B」。
地下に降りて行くとコンクリートむき出しの壁に囲まれていて、全体的にカビ臭く、アングラな劇場感たっぷり、お客さんは40人くらいかな?
山谷は南千住から南に歩いて10分ほど行った明治通り沿い泪橋交差点周辺の、数ブロック×数ブロック程度の地区をさす。かつてドヤ街とも呼ばれていた日雇い労働者の街。
日本の高度成長期に、地方から仕事を求めて多くの人間がやってきては安宿に滞在し、ここから早朝にトラックやバスに乗り込んでは建設現場に向かっていた。大阪でいう釜ヶ崎のような場所です。
ただ、90年代以降の長引く不況で現場仕事も減り、かつての東京の建設ブームを支えた労働者たちの高齢化が進み、安宿にも空きが増え始めた。
そこに現れたのが、外国人バックパッカーたち。一泊2000円以下で個室で泊まれること、秋葉原や六本木などの観光地に日比谷線一本で行けること、そして何よりこのエリアが持つ、洗練された東京とは明らかに異質な空気感に興味を持ち、2002年の日韓ワールドカップ開催時以降、彼らの寝床を提供する安宿(ゲストハウスと名称変更したけど)が増えていった。
2005年にゲストハウスの外人向け広告の仕事で何回か行ったことがあったけど、正直この特殊な空気感は明らかに違う。昼間から一升瓶抱えたおじいちゃんが道で寝てるし、あちこちで小便の匂いがした。数十年前の日本というか、雑然とした東南アジアのような雰囲気がここにだけ残されていて、そして、外界(この21世紀の東京)と意識的に遮断されているようにも感じる。
ここのゲストハウスの人に話を聞くと、かつて山谷には江戸時代には川を隔てて処刑場があったそうな。死刑になる囚人と家族が最後の別れをする場所に橋があって、そこに泪橋という名がついた。
そう、ピンと来た人もいると思いますが、「あしたのジョー」で出て来た泪橋はここからきてます。ジョーが流れ着いたドヤは、山谷がモデルになっています。泪橋をわたるともう元には戻れない、だから「泪橋を逆に渡ろう」と丹下段平とジョーがボクシングで勝ち上がる事を夢見る訳です。
さて、ここから映画自体の話。メインは1980年代の山谷の日雇い労働者たちとその日払い賃金をピンハネする地場を仕切る暴力団との闘争の話。
暴力団の長年の横暴に切れた労働者たちが、ヤクザ関連の右翼団体が所有する街宣車に火をつけて燃やしたり、労働者の暴動を鎮圧しようと現れた機動隊に火炎瓶を投げつけたり。
夜中に怒声に怒声が響き渡り、機動隊、ヤクザ、労働者たちが路上でもみくちゃになりながら、街のあちこちで燃え上がる炎で彼らの真剣な表情が浮かびあがる姿は圧巻。自分がもう生まれていた時代の東京でこんな事が起きていたとは正直信じられない。
搾取する者とされる者の戦いとも見れるし、警察と市民との戦いとも見れる。うがってみれば、右翼団体のヤクザと左に傾倒した活動家が仕切る労働者の、右 vs 左のイデオロギー闘争にもみえる。
「モーレツからビューティフルへ」じゃないけれど、1970年を境に、日本では権力への抵抗運動が急速に収束していったじゃない? なにか問題意識をもっていた人たちの一部は、活動家からアクティビストという横文字の肩書きに変わり、「赤」から「緑」へ、アンチ資本主義から環境問題へとそのテーマが変容した。
「どこかあか抜けないけど、ひたすら熱い革命家」から「都会的でクールなエコロジスト」に脱皮。国民的人気監督である宮崎駿の「風の谷のナウシカ」とか「もののけ姫」なんかにも、そういう洗練されたアンチテーゼが垣間みられると思う。
「日払いの金と仕事」という切実なテーマで描かれるその日暮らしの生活者たちの映画には、やっぱりワンカップ大関が似合う。垢抜けない、というよりも、垢にまみれながらも身ひとつで権力とぶつかる人間たちがいた時代の、最後の記録作品として秀逸。
ちなみにこの作品の最初の監督、佐藤満夫氏は撮影開始後数週間で組員に刺殺され、その後監督を継いだ山岡強一氏も映画完成後1ヶ月で撃たれ亡くなっています。「やられたらやりかえせ」というサブタイトルは作品に携わった人間たちの共通のメッセージ。
内容が内容なので、テレビの地上波では上映できないだろうと思うけど、汗と日本酒の匂いが漂ってきそうな人間臭い異色作。東京を見る目が少し変わります。
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