今回のオリンピックからちょうど20年前にも、この国はオリンピックを沸かせた事がありました。そう、あの大ヒット映画「クール・ランニング」のモデルになったジャマイカボブスレーチーム!
実際にカルガリーオリンピックに参加し、映画のハイライトにもなった大クラッシュでレースを終えたボブスレー選手の一人で、現在はジャマイカボブスレー協会のディレクターを務めるクリス・ストークス氏に昨日会う事ができました。
熱帯から来たボブスレーチームへの好奇と軽蔑の衆目が、90分あまりのストーリーで感動と賞賛に変わる事で映画自体は大団円を迎えたが、現実はそれだけでは終わらなかったらしい。93年の映画公開時にも人々から喝采を受けたチームはその後慢性的な資金難に苦しみ、クリスも選手としてのみならずスポンサー集めにも奔走。2000年にはジャマイカボブスレーチームに日本のIT企業から資金援助の約束を取り付けたが、不運にもITバブルがはじけて援助が突如凍結、なんてことも。
彼は苦学しながらビジネスマンの道を歩み、アメリカでMBAを取得後、現在は2010年の冬季オリンピックに向けて、采配をふるっています。ボブスレーのスタートダッシュにも、スプリンターと同様の脚力が必要らしく、この国がボブスレーに取りかかる理由も合点がいった。
今回のジャマイカ勢の躍進の理由を聞くと、
「一番の理由はやはりどの国よりも強いナショナル・パッションでしょう。マーシャル・アーツが日本、フットボールがアメリカ、サッカーが南米の国技であるのと同様に、ジャマイカで陸上競技は国のプライドをかけて取りかかっています。
「この島の陸上競技への情熱を説明するのに、話は1948年までさかのぼります。当時ジャマイカはまだイギリスの植民地(1962年に正式に独立)で、レゲエ・ミュージックも存在していなく、島にはサトウキビ畑しかなかったような時代でした。この年のオリンピックでアーサー・ウィントが男子400mでジャマイカ人として初めてオリンピックで金メダルを獲得します。これはジャマイカ人にとって非常な重要なセルフ・アイデンティティーとなっています。そして1952年のヘルシンキオリンピックで彼を含めた4×400mリレーでは、大国アメリカを二位に抑えて、再び金メダルを取り、当時の世界記録を更新しました。この二大会の快挙は我々にとって忘れがたいものであり、プライドをおおいに刺激しました。彼らはナショナル・ヒーローとして親から子へ、そしてまたその子へと語り継がれています」
とのことでした。その強さにちょっと納得。歴史ってすごい。
ちなみに、2010年に向けて、ジャマイカボブスレーチームは日本からもスポンサー探してます、とのことです。
だれか興味あるかな?